2018年05月20日(日)

質問

もうすぐ32歳になる男性です。

これから人生どうするのか、とても不安であり、悩んでいます。

働いてはいるのですが、能力的にも体力的にも、いまの仕事が、どれくらい続けられるかわかりません。

不安の内容の正体は「自分が何も積み重ねてこなかったこと」にあるのだろうと、推測しています。

数学の勉強と、プログラミング(Python)の勉強を、少しずつやっています。

ただ、コーディングのサイトでやったり、転職のことを調べてみても、出来ないことや、今まで積んでこなかったことばかり出てきて、不安と後悔しかないです。

自分にできるのは、人の話を聞くこと会話の相手になること、くらいしか出来ることがなく、どうしよう…という思いしかありません。

ひとつずつ、数学の基礎を学ぶこと、実際に手を動かすこと、学習サイトでプログラミングのコードを書くこと、やったことや思ったことを諸々、ノートに少し書くことを、しています。

結城さんは、このような、不安な気持ちになった時は、どうされましたか?

回答

ご質問ありがとうございます。

結城さんはどうされましたかとのことですが、ぜんぜん過去形ではなく、あなたと同じ気持ちを現在でもよく感じます。

自分がやってこなかったこと、積み重ねてこなかったこと、無為に過ごした時間、生かせなかったチャンス……それらに目を向け続けると、頭を抱えて「うわわ……」という気持ちになります。本当です。

そのような「積み重ねてこなかったこと」に目を向けて反省することは必要ですが、しかしながら、それらに目を向け続けるのも違うと考えています。

私はクリスチャンなので、人生に関する「根源的な問い」や「実存的な不安」がやってきたときには「神さまに祈る」一択になります。そして適切なアドバイスが神さまから来るのを待ちます。それはたとえば「考えてみれば私はもともと何一つ持っていなかったのだ。何をいまさら不安になる必要があるのか」という認識に変わります。

私にとっては神さまに祈ること(そして聖書に基づいた有益な示唆と安堵を得ること)は本質的な解決なのです。

それはそれとして、以下では神さま以外の話を書きます。

「自分」という存在は、自分が生きていく上で重要なリソースですから、その性質を知っておくことは重要ですね。あなたは「積み重ねてこなかった」ことで不安を感じていらっしゃいますが、そうはいうものの、手持ちの武器、手持ちの資産は必ずあります。それがどれほどささやかなものであれ、それをきちんと認識し、把握しましょう。

たとえばあなたは32歳という年齢です。よく言うことですが「現在はあなたが一番若い時代」です。その現在を、過去を悔いて過ごすことはたいへんもったいないことです。なぜなら、少し先の未来には、「あのとき過去を悔いて過ごすべきではなかった」と思うに決まっているからです。

あなたが何かをできるのは現在しかありません。その現在を後悔で埋めてどうするのか。それでは未来の自分が嘆くだけです。

あなたは、自分が持っている武器、持っている資産を決して過小評価すべきではありません。いろんなサイトを見たり、転職のことを調べたりしていると、自分の持っているものが貧弱に思えるかもしれません。そして実際に貧弱なのかもしれません。でも、それがあなたの武器であり資産です。それを生かしましょう。だって、それがあなたの持っている武器であり資産なのですから。

できないことや不足していることややり損ねたことだけに目を向けてしまうと、せっかく持っていた武器、持っていた資産を有効に活用できなくなってしまいます。それこそもったいないことですね。

あなたは積み重ねてこなかったことを悔いていますが、でも数学にせよプログラミングにせよ、何かを学ぼうとする姿勢、自分を生かそうとする姿勢をあなたはまだ見失っていません。それはとてつもなく大きなことです。

また、あなたは「これくらいしかできることはない」として「人の話を聞くこと、会話の相手になること」を挙げていますが、それは(適切な場を与えられれば)たいへん重要な武器であり資産となります。なぜなら、ほとんどの人は、人の話を聞くよりも、自分の話をしたがるからです。

以上、とりとめもなく書きました。私はあなたに何も保証することはできません。あなたの未来を約束することもできません。しかし、自分が持っている武器、もっている資産をどうか適切に評価していただきたいと思います。その上で、貴重な現在を「過去を悔いること」に費やさないで、前向きに進んでください。健闘を祈ります。

時はめぐる

こちらに「39歳の私」が「24歳の私」を振り返って書いた文章があります。

以下の部分は特に、すごく正直な気持ちを書いているなあと思います。

何が苦しいのか、自分でもよくわからないのだが、 たぶん、自分が何をしていいのか、何をすべきなのか、自分が誰なのか、よくわかっていなかったのだと思う。 私は何をすればいいのか。 今日おもいついた何か、ではなく、 おとといもしていて、昨日もしていて、今日もして、明日もしている何か。 私はそれを求めていた。 私はどこにいて、何をすればいいのか。 (結城浩「時はめぐる」より)


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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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