2018年06月18日(月)


ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。(歴代志上 4:10)

今日の聖書箇所はいわゆる「ヤベツの祈り」の箇所になります。「ヤベツの祈り」は、自分が恵まれること、自分の領地が広がることなどを神さまに求める祈りになっています。

このような「自分が豊かになる祈り」を神さまに捧げることに抵抗を感じる人も多いでしょう。でも「神は彼の求めるところをゆるされた」と書かれていますね。

他人のために祈ること、自分がつましく生きるように祈ること、それはよいことでしょう。でも、この「ヤベツの祈り」のように自分が恵みを受けることを大胆に祈ったり、自分の領地が広がることをあからさまに祈ったりすることもまた、神さまにゆるされています。神さまに、自分の幸福を祈ってもかまわないのです。

しかし、もう一度「ヤベツの祈り」を振り返ってみると、祈りで述べられている「主体」が神さまであることに気付きます。「神さまが私を豊かに恵む」「神さまが私の国境を広げる」「神さまが災いを私から免れさせる」「神さまが私に苦しみを受けさせない」

すべて、神さまが主になっていますね。

この箇所を読んでいて、最も私の心に掛かったのは「国境を広げる」という部分です。自分の領土を広げる、自分の領地を広げるという表現を比喩的に解釈してみましょう。すると、自分の可能性、自分の活躍する場、関わりあう世界、そのようなものを広げることと思えてきます。

自分の世界を広げてくださるように神さまに願うというのは、神さまにゆるされることです。そのときに「神さまが主になっているか」ということを忘れないようにしたいものです。

私の国境はどこにあるのか。私の領地とは具体的に何か。私の領土を広げるとはどういうことか。それもしっかりと考えていきたい。

自分の世界が、いつ、どのように、どの方向に広がるかはわかりません。でも、どうか神さまが最善のときに、最善の方法で、最善の方向に向けて広げてくださるようにと私は願います。

ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。(歴代志上 4:10)


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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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