2019年03月14日(木)


質問

批判とか、からかいとかではなく単純な興味での質問です。

私は無宗教なので、信仰するという感覚がわかりません。

結城さんにとっては、信仰という基盤の上に生活が成り立っている感じなのでしょうか。それとも、衣、食、住、信仰のように全てが絡み合って生活が成り立っているのでしょうか。

ちょっとふわっとした質問なのですがピンときたらご回答いただけると嬉しいです。

回答

ご質問ありがとうございます。難しいですけど少し書いてみますね。

ある点では「信仰」は「価値観」に似ています。何を良いものであると考えるか。どんなことを目指して生きるか。そういう観点からすると「信仰」は「価値観」に似ていると思います。

あなたが例に出した「衣、食、住、信仰」のうち「衣、食、住」は肉体としての自分に必要なものですが、信仰はそれとは少し次元が違うけれど自分に必要なものです。といっても、肉体と対比して精神に必要なものが信仰というわけでもありません。

説明するのはやはり難しいですね。一般論として語ろうとするからかもしれません。以下は、私の個人的な考えを書いてみたいと思います。

「信仰」は「結婚」にとても似ています。結婚というものは、とてもプラクティカルで毎日に密着していることです。たとえば、ほんのちょっとした出来事をパートナーに話したり、気持ちの揺れを相手と共有したりということは結婚生活においてよくあることですが、それは信仰生活でも普通にあることです。パートナーに話すというのは神さまに祈ることに似ています。

ですから、ある意味では信仰の上に生活が成り立っているとも言えますが、信仰と生活とをそのように分けること自体がなんだか意味のないことのようにも思えます。たとえて言うならば、既婚者が「結婚生活」と「生活」を分けるようなものです。

「信仰の上に生活が成り立っているのですか」という質問は、「人生と生活はどう違いますか」という質問にも似ています。ある意味では同じことを言っていますが、ある意味では次元が違う話をしています。

「信仰」というものを考える上で大事なことの一つに「交換困難性」があります。「かけがえのなさ」とも言えます。着るもの、住むところ、食べるものは、気分や季節で変わることがあります。でも、信仰はそうではありません。切り替えることは、不可能とは言わないけど、大きな困難を伴います。

自分の価値観が簡単に切り替わらないこと、結婚したパートナーを簡単に変えたりしないこと、自分という人間のありようが変わりにくいこと、それと信仰はよく似ています。信仰が深化したり、成長したりすることはあります。ちょうどパートナーとの関係が深まることに似ています。

信仰を考えるときに大事なのは、相手(神さま)は人格を持っているという点です。だから、神さまを相手に「祈る」という行為が意味を持ちます。電気は人格を持ちません。だから電気に祈ることは(よっぽど特殊な状況を除き)ありません。

神さまへの信仰を持つというのは、自分をこの世に存在させてくれて、自分をこよなく愛してくれて、すべてのすべてを備えてくれる「大切な方」との関係を大切にすることです。

「私は何のために生きるのですか」と問う相手。「私はいまここでどうしたらいいのでしょうか」と問う相手。「どうか私のこの大変な状態から救ってください」と言える相手。そのほか、誰にも言えないことを注ぎ出すように語れる相手。そのような相手との関係を持つことが信仰です。

もちろんここで言う「相手」とは聖書の神様のことです。

人格を持たない相手と対話することは虚しいものです。虚空に向かって願ったり、聞く耳を持たない物体に救いを求めたりすることは詮無いことです。対話し、言葉のやり取りをし、人格的な関係を持つことは、信仰において本質的です。どんな行いをするかよりも前に、神さまとの対話があります。

自分が良い行いをするから神さまに愛されるのではありません。神さまに愛されているということを十分に受け取るから良い行いをしたいと願うようになるのです。神さまとの関係を保つというのはそういうことです。

人は愛がなければ生きていけません。しかも人は愛を作り出すことができません。人は愛を誰かから受け取り、それをまた別の人に送ることはできます。そして、愛の源泉は神さまです。ですから、神さまとの関係を保ち、愛を受け取ることは信仰においてとても大切なことなのです。

個人の生活においても、他者との関係においても、まずは神さまからの愛を十分に受け取ることが大切なのです。それはちょうど、食事をきちんととって、ぐっすり睡眠をとった状態に似ています。寛容な心で自分や他人に接することができる状態。それには愛が要ります。神さまに愛の源泉があるのです。

信仰について、私は個人的に以上のように思っています。

リンク

このような話題に関心がある方はこちらもどうぞ。

頭がいい人が陥りがちな話題に関してはこちらもどうぞ。

人間は、根本的に「人なんかどうでもいい」と思っているのだから、信仰なんて無意味だという人は、こちらをどうぞ。

聖書と教会を選ぶための簡単なガイドがこちらにあります。


 このお話をTwitterでシェアする  このお話についてnoteで書く

結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

Home Twitter 結城メルマガ note