永遠を見つめるということ

2015年03月08日(日)  List  Edit  New

永遠というのは時間ではない。それは無限大が数ではないのと同じだ。永遠は時間を越えている。

クリスチャンは永遠の命という表現をよく使う。これはこの世で永遠に生きるという意味ではない。この世界での命を終えた後に、別の世界へ移り(命のあり方も変わり)、そこで、この世での時を越えて生きるという意味だ。

キリストを信じることで、永遠の命を得る。それは不思議なことである。この世で過ごす時間の中で自分のなした信仰告白が、自分の永遠に関わるなんて。

永遠は現在に似ている。これはC.S.ルイスの言葉だ。決心をする。決断をする。自己の生きる道を決めてそれを宣言する。それは時間に縛られた限りある行為かもしれない。しかし、それは自分の永遠に関わる問題なのだ。

それに似たことはキリスト教とは無関係な人にもよくある。例えば結婚。結婚してくださいとプロポーズを受けたとする。それに「はい」と答えるか、「いいえ」と答えるか。その一言で、一生の大きな部分が影響を受ける。それは、信仰告白にとても似ている。

実際、信仰告白というのはプロポーズへの返事といってもいい。神さまはずっとあなたを愛している。プロポーズを続けている。それに対して「はい」と答えるのが信仰告白。この世での花嫁修業を終えてのハネムーン先は天国である。

永遠を見つめるということ。

それは現在を見つめるということだ。

豊かな人生のための四つの法則


 このお話をTwitterでシェアする

結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

Home Twitter Mastodon 結城メルマガ