2017年07月31日(月)

あなたの名のために遠い国から来る異邦人が、(略)もしきて、この宮に向かって祈るならば、あなたは、あなたのすみかである天で聞き、すべて異邦人があなたに呼び求めることをかなえさせてください。 (列王紀上 8:41-43 より)

今回の聖書箇所は、ソロモンが主の神殿を建てた後の祈りの一部。

今日の聖書箇所で心に残ったのは二点。自分は聖書の民としては異邦人であること。そして神に呼び求めるということ。諦めるのではなく、自分だけでやるのではなく、神に呼び求めるという態度の意味。

もちろんそこには神への信頼や信仰があるのだが、呼び求めることの背後にある「神との関わり合い」について思う。「神に呼び求める」というとき、「神に解決を求める」だけではなく、「神と関わり合う」ことに意味があるのではないだろうか。自分は生きていて、神と関わり合い、人と関わり合う。私には求めるものがある。だから神と、あるいは人と、関わり合う。

神を呼び求めるためには、自分が弱いという自覚がないと難しい。逆にいうなら、自分が弱いとわかっていれば、神に助けを求めることはやりやすいかもしれない。だとしたら、場合によっては、自分の弱さを知っていることが、大きな強みになることもあるだろうか。

聖書の内容からはやや離れてしまったけれど、今日の聖書箇所を読みながら、そんなことを思っていた。


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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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